【事例解説】役員が持ち出した技術情報は営業秘密か? - 秘密管理性と会社法上の責任が争点となったケース
はじめに:役員による営業秘密侵害の特殊性
企業の重要な情報である営業秘密は、不正競争防止法によって保護されています。しかし、営業秘密が侵害されるケースは多岐にわたり、特に経営中枢にいる役員による持ち出しや不正利用は、企業にとって極めて深刻な問題となります。従業員による情報持ち出しの事例は多く見られますが、役員はより広範な情報アクセス権限を持ち、企業の機密情報に関与する度合いも高いため、その行為は会社に対する背信行為としての側面も強く持ちます。
この記事では、企業の役員が在任中または退任後に会社の技術情報を持ち出し、これを不正に利用したとされる事例を取り上げます。この事例を通じて、持ち出された情報が営業秘密に該当するかどうか、不正競争防止法上の不正競争行為となるか、そして役員が会社に対してどのような責任を負うのかといった法的な論点を深く掘り下げて解説いたします。
事案の経緯:開発担当役員による技術情報持ち出し
ある技術開発系の株式会社において、取締役として重要な技術開発部門を統括していたA氏が、退任後に競合する事業を開始しました。会社が調査を行ったところ、A氏は在任中に、社内サーバーに厳重に管理されていた最新の開発技術に関する詳細なデータや設計情報、製造プロセスに関するノウハウなどが含まれるファイルを、複数回にわたって個人的な外部ストレージデバイスにコピーしていたことが判明しました。これらの情報は、会社の将来の事業計画の中核をなすものであり、社内ではアクセス権限が限定され、極秘情報として扱われていました。
会社は、A氏が持ち出した情報を用いて新たな事業を行っていると考え、これは会社の営業秘密を不正に取得、使用する行為であり、不正競争防止法に違反すると同時に、役員としての善管注意義務・忠実義務に違反するとして、A氏に対して営業秘密侵害行為の差止めと損害賠償を求める訴訟を提起しました。
法的な争点:営業秘密性、不正取得・使用、そして役員の責任
この事例における主な法的な争点は以下の通りです。
- 持ち出された情報が「営業秘密」に該当するか: 不正競争防止法上の営業秘密とは、「秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないもの」と定義されています(不正競争防止法第2条第6項)。
- 秘密管理性: 会社がこの情報を「秘密として管理」していたといえるか。社内でのアクセス権限制限、ファイルへのパスワード設定、秘密情報の表示、社内規程の存在などが問われます。特に役員の場合、業務上の必要性から広範な情報にアクセスできる立場にあるため、その情報が単に「知っていた」情報ではなく、「秘密として管理されていた」情報であることの立証が重要になります。
- 有用性: 持ち出された情報が、会社の事業活動にとって客観的に有用な情報であるか。技術的な優位性やコスト削減、開発効率向上などに資する情報であるかが問われます。
- 非公知性: その情報が、会社の外部には公然と知られていない情報であるか。公表されている情報や業界内で一般的に知られている情報ではないことが必要です。
- A氏の行為が不正競争防止法上の「不正取得」または「不正使用」に該当するか:
- 不正取得: 不正の利益を得る目的、または事業者に損害を加える目的で、窃盗、詐欺、強迫その他の不正な手段により営業秘密を取得する行為、およびそのように取得された営業秘密であることを知って、もしくは知らなかったことに重大な過失により取得する行為が不正取得となります(不正競争防止法第2条第1項第4号)。この事例では、権限を逸脱して個人的なストレージにコピーした行為がこれに該当するかが問われます。
- 不正使用: 不正取得した営業秘密を使用する行為などが不正使用となります(不正競争防止法第2条第1項第5号)。退任後に競合事業で持ち出した情報を使用する行為がこれに該当するかが問われます。
- A氏の行為が会社法上の役員の責任に該当するか: 役員は、法令及び定款並びに株主総会の決議を遵守し、株式会社のため忠実にその職務を行う義務(忠実義務、会社法第330条、商法第254条の3参照)及び善良な管理者の注意をもって職務を行う義務(善管注意義務)を負っています。
- A氏が会社の重要な技術情報を不正に持ち出し、自己または第三者の利益のために利用する行為は、会社に対する忠実義務や善管注意義務に違反し、会社に損害を与えたとして、会社法第423条に基づく損害賠償責任を負うかが問われます。
関連法規の解説:不正競争防止法と会社法
この事例に関わる主要な法規として、不正競争防止法と会社法があります。
- 不正競争防止法: この法律は、事業者間の公正な競争を確保することを目的としており、営業秘密侵害行為を不正競争行為として定義し、差止請求や損害賠償請求の根拠を与えています。特に、第2条第1項に不正競争行為の種類が列挙されており、営業秘密の不正取得、使用、開示などが含まれます。
- 会社法: 会社法は、会社の設立、組織、運営及び管理等について定めた法律です。役員の会社に対する義務や責任についても規定されており、第423条では、役員等が任務を怠ったことにより会社に損害を与えた場合に、会社に対してその損害を賠償する責任を負うことが定められています。役員による営業秘密の不正持ち出し・利用は、単に不正競争防止法に違反するだけでなく、役員としての任務懈怠行為として会社法上の責任も追及される可能性があるのです。
裁判所の判断:営業秘密性、不正行為、そして役員の責任認定
裁判所は、まず持ち出された情報が営業秘密に該当するかを検討しました。会社が社内規定で機密情報の範囲を定め、特定の情報にアクセス権限を設けるなどの措置を講じていたことから、「秘密管理性」が認められました。また、その情報が最新技術に関するものであり、競合他社が容易に入手できない点から「非公知性」と「有用性」も認められ、持ち出された情報は営業秘密に該当すると判断されました。
次に、A氏の行為が不正競争行為に該当するかについて、A氏が正当な業務目的なく、個人的な外部ストレージに大量の技術情報をコピーした行為は、職務上の権限を逸脱したものであり、「不正取得」に当たると判断されました。さらに、退任後にその情報を用いて新たな事業を開始した行為は、「不正使用」に当たると認定されました。
加えて、裁判所は会社法上の役員の責任についても判断を示しました。A氏が会社の重要な財産である営業秘密を不正に取得し、自己のために利用しようとした行為は、役員としての忠実義務に明らかに違反するものであり、会社に損害を与えたとして、会社法第423条に基づく損害賠償責任を認めました。不正競争防止法に基づく損害賠償請求と合わせて、会社はA氏に対して多額の損害賠償を請求できることとなりました。
この事例では、不正競争防止法違反と会社法違反の両面から役員の責任が追及され、裁判所によってその責任が認められた点が重要です。
事例からの示唆・学び:役員の高い義務と対策の重要性
この事例から、私たちはいくつかの重要な示唆を得ることができます。
- 役員の立場における秘密管理の特殊性: 役員は業務上、企業の多くの情報にアクセスできる立場にあります。そのため、形式的なアクセス制限だけでは「秘密管理性」の証明が難しい場合があります。役員に対して、改めて営業秘密の重要性や、その取扱に関する高度な注意義務を徹底させること、また退任後の秘密保持義務に関する誓約を確実に取得することが重要です。
- 会社法上の責任追及: 役員による営業秘密侵害は、単に不正競争防止法違反に留まらず、会社に対する善管注意義務・忠実義務違反として会社法上の責任も追及できる可能性があります。これは、損害賠償額の算定や責任追及の根拠を補強する上で重要な視点となります。
- 技術的な対策と組織的な対策の組み合わせ: サーバーへのアクセスログ監視、外部ストレージへの情報コピー制限、機密情報へのアクセス履歴管理といった技術的な対策に加え、役員を含む全従業員に対する定期的な情報セキュリティ研修や、退職時の情報返還・消去の徹底といった組織的な対策を組み合わせることが不可欠です。
- 学生への示唆: 将来、企業の経営層や管理職を目指す学生にとって、この事例は、単に技術やビジネスの知識だけでなく、企業秘密の保護に関する法律知識や、役員としての高い倫理観と法的責任を理解することの重要性を示しています。企業の重要な情報を扱う立場になった際に、どのようなリスクが存在し、どのように行動すべきかを考える上で、貴重な参考となるでしょう。
まとめ:役員による侵害事案への警戒と適切な対策
役員による営業秘密の不正持ち出し・利用は、企業の存続をも脅かしかねない重大なリスクです。このような事例においては、持ち出された情報が不正競争防止法上の営業秘密に該当するかどうかが重要な論点となるだけでなく、会社法上の役員の責任も問われる可能性があります。
企業は、役員を含む全ての関係者に対して、営業秘密の適切な管理と保護に関する意識を高めるとともに、技術的・組織的な対策を強化していく必要があります。特に、役員の情報アクセス権限の管理や、退任後の秘密保持に関する取り決めについては、より一層の注意を払うべきであるといえます。この事例が、営業秘密保護体制を見直す一助となれば幸いです。