【事例解説】従業員が会社の情報を私的ツールで持ち出したケース - 「秘密管理性」は失われるのか?
導入:従業員による情報持ち出しとその法的評価
近年、働き方の多様化や情報技術の進化に伴い、従業員が会社の業務情報を自宅のパソコンや個人のクラウドストレージ、USBメモリなどに持ち出すケースが増加しています。これらの情報持ち出しは、企業の営業秘密を侵害するリスクをはらんでいます。
では、会社の許可なく行われたこれらの情報持ち出し行為や、持ち出された情報そのものは、法的にどのように評価されるのでしょうか。特に、情報が私的なツールに置かれたことで、不正競争防止法で保護される「営業秘密」としての要件を満たさなくなる、あるいは持ち出し行為自体が不正な手段による「取得」にあたるのか、といった点が重要な論点となります。
この記事では、実際に発生した裁判事例に基づき、従業員による無許可の情報持ち出しにおける「秘密管理性」の判断基準、そして持ち出し行為が「不正取得」にあたるかという点に焦点を当て、その法的考え方を解説します。
事案の経緯:退職前のデータコピーが発覚
想定される典型的な事例として、以下のようなケースを考えてみます。
ある企業の営業部門で勤務していた従業員Aは、退職を数ヶ月後に控え、自身の担当顧客に関するリスト、過去の営業データ、社内向け価格表などの情報を、個人のノートパソコンやUSBメモリ、あるいは私的なクラウドストレージアカウントにコピーしました。これらの情報は、Aが日常業務でアクセス権限を持っていたものでしたが、会社の正式な手続きや許可なく、個人的な目的(例えば、退職後の活動の参考にするため、あるいは転職先で利用するため)で持ち出されたものです。
Aの退職後、会社はAが業務に関係のない媒体に大量の情報をコピーしていた痕跡に気づき、その行為が不正競争防止法上の営業秘密侵害にあたるとして、Aに対し情報の返還・削除や損害賠償などを求める訴訟を提起しました。
法的な争点:「営業秘密性」と「不正取得」
この種の事例における主要な法的な争点は、主に以下の2点です。
- 持ち出された情報が「営業秘密」に該当するか?
- 不正競争防止法上、保護される対象は「営業秘密」です。営業秘密とは、以下の3つの要件全てを満たすものを指します(不正競争防止法第2条第6項)。
- 秘密管理性: 秘密として管理されていること。
- 有用性: 事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であること。
- 非公知性: 公然と知られていないこと。
- この事例では、特に「秘密管理性」が争点となることが多いです。会社が情報に対して、アクセス権限を限定したり、「マル秘」「社外秘」などの表示をしたり、従業員に秘密保持誓約書を提出させたり、情報管理規程を定めて周知したりするなど、秘密として管理するための具体的な措置を講じていたかが問われます。従業員が私的なツールへ自由にコピーできる状況であった場合、会社の秘密管理性が不十分と判断される可能性があります。
- 有用性や非公知性についても争われることがありますが、顧客リストや開発データ、価格情報などは一般的に有用性・非公知性が認められやすい傾向にあります。
- 不正競争防止法上、保護される対象は「営業秘密」です。営業秘密とは、以下の3つの要件全てを満たすものを指します(不正競争防止法第2条第6項)。
- 従業員による情報持ち出し行為が「不正取得」にあたるか?
- 不正競争防止法は、営業秘密の不正取得行為(第2条第1項第4号)や、不正取得した営業秘密を使用・開示する行為(同号)を不正競争行為と定めています。
- この事例では、従業員が会社の許可なく情報をコピーし、私的な媒体に移す行為が「不正取得」にあたるかどうかが争点となります。裁判例では、会社の管理下にある情報システムから、権限を濫用したり、技術的管理策を回避したりして情報を複製・持ち出す行為が、不正競争防止法上の「不正取得」に含まれると判断されることがあります。単に業務に必要な範囲でアクセス権限がある情報を複製しただけの場合でも、会社の明確なルールに違反する態様での持ち出しであれば、不正取得と評価される可能性があります。
関連法規の解説:不正競争防止法とその要件
ここで、上記争点に関連する不正競争防止法の条文を確認します。
不正競争防止法第2条第6項(営業秘密の定義) 「この法律において「営業秘密」とは、秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないものをいう。」
この定義から、「秘密管理性」「有用性」「非公知性」の3要件が抽出されます。
不正競争防止法第2条第1項第4号(営業秘密の不正取得、使用等) 「次に掲げる不正競争は、この法律において「不正競争」とする。…四 営業秘密が、窃盗、詐欺、強迫その他の不正の手段により取得された場合(以下この項において「不正取得の場合」という。)において、その営業秘密を取得する行為…」
この条文は、不正な手段による営業秘密の「取得」行為を不正競争行為と定めています。「窃盗、詐欺、強迫その他」の「その他」には、会社の情報管理体制を潜脱するような不正な手段によるアクセスや複製などが含まれ得ると解釈されています。
裁判所の判断:秘密管理性の厳格な判断と不正取得の評価
上記のような事例において、裁判所がどのような判断を示すかは、個々の事案における具体的な状況(特に会社の情報管理の実態)によって異なります。
多くの裁判例では、「秘密管理性」の要件が比較的厳格に判断される傾向にあります。例えば、
- 特定の情報にアクセスできる者を限定していたか?
- 情報ファイルにパスワードを設定していたか?
- 「部外秘」「マル秘」などの表示を適切に行っていたか?
- 情報管理規程を整備し、従業員に周知徹底していたか?
- 従業員から秘密保持に関する誓約書を取得していたか?
- 個人的なクラウドやUSBメモリへの情報持ち出しを禁じるルールがあり、それが守られていたか?
- 情報システムのアクセスログ監視や持ち出し制御システムを導入していたか?
といった点が詳細に検討されます。これらの管理措置が不十分であると判断された場合、たとえ会社にとって重要な情報であっても、「秘密として管理されていた」とは認められず、営業秘密として保護されないという結論になることがあります。逆に、これらの管理措置が適切に行われていたと認められれば、秘密管理性が肯定される可能性が高まります。
また、「不正取得」の点については、従業員が権限のある情報にアクセスした場合でも、会社の情報管理ルールに違反する態様で無断で複製・持ち出しを行った行為が、不正競争防止法上の「不正取得」に該当すると判断されるケースが見られます。ただし、単なる複製行為が直ちに不正取得にあたるわけではなく、その複製・持ち出しが会社の管理を潜脱する意図や態様で行われたかなどが考慮されます。
裁判所は、これらの点を総合的に考慮し、持ち出された情報が営業秘密として保護されるか、そして従業員の行為が不正競争行為にあたるかを判断します。
事例からの示唆・学び:情報管理体制の強化と従業員の意識向上
この事例から、読者である学生の皆さんが学ぶべき重要な点はいくつかあります。
まず、企業側にとっては、営業秘密を保護するためには、情報管理体制の構築と運用が極めて重要であるということです。単に情報が重要であるというだけでなく、それが「秘密として管理されている」状態になければ、法的な保護を受けることができません。アクセス制限、情報への表示、規程の整備、従業員への教育・誓約書、そしてITツールによる監視・制御など、多層的な対策を講じる必要があります。特に、リモートワークや私的なデバイスの業務利用(BYOD)が進む中で、個人的なクラウドストレージやUSBメモリへの安易な情報持ち出しを防ぐための技術的・組織的な対策がますます重要になっています。
次に、従業員側にとっては、会社の情報資産に対する適切な取り扱いが求められるということです。たとえ自分が業務で作成または取得した情報であっても、それは会社の資産であり、会社の許可なく個人的な媒体にコピーしたり、外部に持ち出したりする行為は、不正競争防止法違反となる可能性があります。善意で将来の参考のために持ち出したつもりが、法的な責任を問われる事態になりかねません。退職・転職に際しては、会社の情報資産を全て返却または削除し、持ち出しに関する会社のルールを遵守することが不可欠です。
学生の皆さんにとっては、将来企業で働く際に、企業の知的財産や情報資産を保護することの重要性を理解し、適切な情報管理意識を持つことが求められます。営業秘密に関する知識は、法務部門だけでなく、研究開発、営業、企画など、あらゆる部署で業務を遂行する上で役立ちます。
まとめ:秘密管理性の確保と情報持ち出しリスクへの対応
従業員による無許可の情報持ち出し事例は、企業の営業秘密保護における典型的な課題の一つです。このような事例における裁判所の判断は、情報が不正競争防止法上の「営業秘密」として保護されるか、特に「秘密管理性」の要件を満たしているか、そして従業員の持ち出し行為が「不正取得」にあたるかという点を中心に行われます。
企業は、重要な情報に対して厳格な秘密管理措置を講じることで、営業秘密としての法的保護を確保する必要があります。同時に、従業員は会社の情報資産に対する責任を自覚し、許可なき情報持ち出しが重大な不正競争行為となり得ることを理解しなければなりません。
この事例は、営業秘密を巡るトラブルを防ぐために、企業と従業員の双方が適切な情報管理に対する意識を高め、具体的な対策を講じることの重要性を示しています。