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【事例解説】従業員の「不正の目的」なき情報持ち出しは営業秘密侵害か? - 目的の立証が争点となったケース

Tags: 営業秘密, 不正競争防止法, 従業員, 情報持ち出し, 裁判事例, 不正の目的, 秘密管理性, 不正競争行為

導入

企業にとって、従業員が業務上知り得た重要な情報や、自社で開発した技術・ノウハウを外部に持ち出すことは、深刻なリスクとなります。これらの情報が「営業秘密」として保護される場合、その不正な取得、使用、開示は不正競争防止法によって規制されます。しかし、従業員が情報を持ち出したとしても、それが必ずしも「不正の目的」(不正な利益を得る目的、または事業者に損害を加える目的)によるものとは限らない場合があります。例えば、個人的な学習のためであったり、単に過去の業務記録として保管していただけであったりすることもあり得ます。

本記事では、従業員による情報持ち出し行為について、「不正の目的」の有無が争点となった裁判事例を取り上げ、その詳細、法的な論点、そして裁判所の判断を解説します。この事例を通じて、営業秘密侵害における主観的要件の重要性や、その立証の難しさについて理解を深めていただくことを目的としています。

事案の経緯

本事例は、ある技術開発企業で勤務していた元従業員が、退職に際し、在職中に使用していた会社のパソコンやサーバーから、業務関連の技術情報、顧客情報の一部などを個人的な記録媒体に複製し、自宅に持ち帰ったというものです。

会社側は、元従業員によるこれらの情報の持ち出し行為が、不正競争防止法上の営業秘密の不正取得または不正使用に該当すると主張し、情報の使用差止や損害賠償を求めて提訴しました。

これに対し、元従業員は、持ち出した情報は過去に自身が担当した業務に関するものであり、個人的な学習や参考のために持ち出したに過ぎず、会社に損害を与える意図も、不正な利益を得る意図もなかったと主張しました。転職先の業務でこれらの情報を使用する予定もないと述べました。

このように、本事例では、元従業員が会社の情報を持ち出したという客観的な事実自体は争われませんでしたが、その行為に「不正の目的」があったかどうかが主要な争点となりました。

法的な争点

本事例の最も重要な法的な争点は、元従業員の情報持ち出し行為が、不正競争防止法第2条第1項第4号または第7号に規定される「営業秘密の侵害」に該当するかどうか、特に「不正の利益を得る目的」または「事業者に損害を加える目的」という主観的な要件を満たすかという点です。

不正競争防止法において、営業秘密の取得や使用、開示が規制されるのは、それが「不正の目的」をもって行われた場合に限られます(一部の例外規定を除く)。ここでいう「不正の利益を得る目的」とは、例えば、持ち出した情報を競合他社に提供して個人的な利益を得ようとする場合や、転職先でその情報を利用して自らの地位や収入を向上させようとする場合などが該当します。「事業者に損害を加える目的」とは、例えば、その情報を公開して企業の信用を失墜させたり、競合製品の開発を妨害したりする場合などが該当します。

事案の経緯で述べたように、元従業員は「個人的な学習や参考のため」という目的を主張しており、会社が主張するような「不正の目的」の存在を否定しています。したがって、裁判では、元従業員の真の意図が何であったのか、そしてその意図が「不正の目的」に該当するかが集中的に審理されることになりました。

また、争点としては、持ち出された情報がそもそも不正競争防止法上の「営業秘密」(秘密管理性、有用性、非公知性の3要件を満たす情報)に該当するかどうかも重要な論点となりますが、本事例においては特に「不正の目的」に焦点が当てられています。

関連法規の解説

本事例で中心となるのは、不正競争防止法です。

ここで重要なのが、いずれの不正競争行為の類型においても、「不正の目的」という主観的な要件が求められている点です。つまり、単に営業秘密を取得・使用・開示するだけでは足りず、そこに不正な意図が伴っていることが必要になります。

「営業秘密」とは、同法第2条第6項で、「秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないもの」(秘密管理性、有用性、非公知性)と定義されています。本事例でも、持ち出された情報がこの定義を満たすかどうかも当然に検討されることになりますが、元従業員の目的が何であったかに最大の関心が寄せられています。

裁判所の判断

裁判所は、元従業員の行為に「不正の目的」があったかどうかを判断するために、様々な事情を総合的に考慮しました。具体的には、以下のような点が考慮されました。

本事例において、裁判所は、持ち出された情報の一部は営業秘密に該当すると認定したものの、元従業員が主張する「個人的な学習や参考のため」という目的を排斥するに足る十分な証拠がないと判断しました。持ち出された情報の量や内容、持ち出し方法、退職後の具体的な行動などを検討した結果、直ちに転職先での使用や競合会社への提供といった「不正の目的」があったと認めることは難しいと結論付けたのです。

その結果、裁判所は、営業秘密の不正取得・不正使用という不正競争行為は成立しないとし、会社側の請求を棄却する判断を下しました。

この判断は、営業秘密侵害において、情報の取得・使用・開示という客観的な行為だけでなく、「不正の目的」という主観的な要件の立証が極めて重要であり、かつ難しい場合があることを示しています。単に情報を持ち出した事実だけでは、「不正の目的」が当然に推定されるわけではないということを示唆する事例と言えます。

事例からの示唆・学び

この事例から、読者の皆様、特に将来企業で働く可能性がある方々や、企業経営に関わる方々にとって、いくつかの重要な示唆が得られます。

  1. 「不正の目的」の立証の難しさ: 営業秘密侵害を訴える企業側にとって、「不正の目的」の存在を立証することは容易ではありません。従業員の心の中の意図を直接証明することは不可能であり、客観的な状況証拠(情報の量、内容、持ち出し方法、退職後の行動など)を積み重ねて間接的に証明する必要があります。裁判所がそれを認めるハードルは、事案によっては高くなります。
  2. 企業側の情報管理体制の重要性: 企業は、従業員による不適切な情報持ち出しを防ぐために、より強固な情報管理体制を構築することが不可欠です。単に「持ち出し禁止」と定めるだけでなく、
    • アクセス権限の厳格な管理
    • 情報の利用範囲や目的の明確化
    • 退職時の誓約書の取得と情報返還・消去の徹底
    • 従業員に対する営業秘密保護に関する定期的な研修
    • 監視システムの導入(ただし、プライバシーへの配慮が必要) といった対策を講じることが推奨されます。特に、「秘密管理性」の要件を満たすためにも、どのような情報が営業秘密であるかを従業員に周知し、アクセス制限などの具体的な管理措置を取っていることを明確に示す必要があります。
  3. 従業員側の意識改革: 従業員は、自分が業務上アクセスできる情報が会社の重要な資産であるという認識を持つべきです。たとえ個人的な目的であっても、許可なく会社の情報を複製したり、外部に持ち出したりすることは、大きなリスクを伴います。意図せずとも、その行為が将来「不正の目的」があったと判断される可能性もゼロではありません。安易な情報持ち出しは絶対に避けるべきです。
  4. 学びへの活用: この事例は、法律の条文だけでなく、その解釈や適用が実際の裁判でどのように行われるかを理解する良い機会です。特に、不正競争防止法における主観的要件の判断がいかに難しいかを知ることで、より実践的な法的思考力が養われるでしょう。将来、企業法務に関わる際には、こうした事例の知識が必ず役立ちます。

まとめ

本記事では、従業員による情報持ち出しが、不正競争防止法上の「不正の目的」にあたるかどうかが争点となった事例を解説しました。裁判所は、客観的な情報持ち出しの事実があっても、「不正の目的」の存在については慎重に判断し、その立証が容易ではないことを示しました。

この事例は、企業にとっては、従業員による不適切な情報持ち出しを防ぐための予防策の重要性と、「不正の目的」の立証の難しさを再認識する機会となります。一方、従業員にとっては、会社の情報の取り扱いについて高い倫理観と法的意識を持つことの必要性を教えてくれます。営業秘密保護は、企業と従業員双方にとって重要な課題であり、具体的な事例を通じてその理解を深めることが、将来のトラブル防止につながるでしょう。