【事例解説】共同研究・委託先への情報開示で「非公知性」が否定されたケース
はじめに
企業の重要な技術情報や経営情報である「営業秘密」は、不正競争防止法によって保護されています。営業秘密として認められるためには、「秘密管理性」「有用性」「非公知性」という3つの要件をすべて満たす必要があります。これらの要件のうち、特に「非公知性」は、情報が一般に入手できない状態にあることを指し、社外の第三者との共同研究や業務委託契約において情報開示を行う際に問題となることがあります。
この記事では、企業が共同研究先や委託先に対して情報を開示した結果、「非公知性」が否定され、営業秘密としての保護を失ってしまった事例を解説します。この事例を通じて、社外への情報開示におけるリスクと、「非公知性」を維持するための注意点について学びを深めていきましょう。
事案の経緯
(本事例は特定の裁判例に基づくものではなく、一般的な論点を説明するために典型的な状況を想定したものです。)
化学メーカーA社は、特定の高機能素材の開発を進めていました。その開発プロセスに含まれる特定の工程に関する詳細な技術情報(配合比率、反応温度・時間、使用触媒など)は、競合他社には知られていない独自のノウハウであり、A社内で厳重に管理されていました。
A社は、その高機能素材を応用した製品開発のため、大学の研究室Bとの共同研究契約を締結しました。契約に基づき、A社は研究室Bに対し、上記開発プロセスの技術情報を開示しました。共同研究契約書には、研究室BがA社から開示された情報を共同研究の目的以外に使用しないこと、共同研究終了後には情報をA社に返還または破棄すること、といった一般的な秘密保持義務が定められていましたが、開示された情報がA社の営業秘密であることの明確な表示や、研究室B内での情報管理体制に関する具体的な取り決めまでは詳細に定められていませんでした。
共同研究が終了した後、研究室Bの一員であったC氏が独立し、A社の競合となりうる事業を開始しました。C氏は、共同研究で得たA社の技術情報を利用している疑いが生じました。
A社は、C氏の行為が不正競争防止法上の営業秘密侵害にあたるとして、差止請求および損害賠償請求を検討しました。
法的な争点
本事例における主な法的な争点は、A社が開示した技術情報が、共同研究先である研究室Bに開示された後も、不正競争防止法上の「営業秘密」として保護される要件を満たしていたか、特に「非公知性」が維持されていたかという点です。
「営業秘密」の定義は、不正競争防止法第2条第6項に定められています。
- 秘密管理性: 情報が秘密として管理されていること。
- 有用性: 生産活動、販売活動等において有用な技術上又は営業上の情報であること。
- 非公知性: 公然と知られていないこと。
本事例では、技術情報が開発プロセスに関するものであり、「有用性」は比較的認められやすいと考えられます。また、A社が社内で情報を厳重に管理していたことから、「秘密管理性」も一定程度認められる可能性があります。しかし、共同研究契約に基づいて研究室Bに情報が開示された点が、「非公知性」の要件を満たさなくなるのではないかという点が大きな問題となります。
具体的には、以下の点が争点となり得ます。
- 共同研究契約に基づく開示が「公然と知られた」ことに該当するか: 契約に基づき特定の第三者に開示された情報が、直ちに「公然と知られた」情報となるのかどうか。
- 研究室Bにおける情報管理の状況: 開示を受けた研究室Bにおいて、情報が適切に秘密として管理されていたか。秘密保持契約の内容や、実際の管理体制は十分であったか。
- C氏による情報の取得方法: C氏が研究室Bで共同研究に関わる中で情報を正当に知得したとしても、その後の利用が「不正使用」にあたるか。ただし、本件ではまず情報自体が営業秘密であるかどうかが前提となります。
- 秘密保持契約違反と営業秘密侵害の関係: もし研究室B(またはC氏個人)が秘密保持契約に違反していたとしても、それだけでは直ちに不正競争防止法上の営業秘密侵害となるわけではありません。情報が非公知性を失っていれば、そもそも営業秘密ではないため、不正競争防止法による保護は受けられません。
関連法規の解説
不正競争防止法第2条第6項(営業秘密の定義)
「この法律において「営業秘密」とは、秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないものをいう。」
「非公知性」は、情報が保有者の管理下以外では一般に入手できない状態にあることを意味します。公然と知られている情報(公知情報)や、業界関係者の間では容易に知ることが可能な情報(容易に知得可能な情報)は、非公知性を持ちません。
共同研究契約や業務委託契約に基づき特定の相手に情報を開示する場合、その情報が直ちに公知情報となるわけではありません。しかし、開示相手が情報に対する秘密保持義務を負わず、かつ自由にその情報を利用・開示できるような状態であれば、非公知性は失われる可能性が高まります。逆に、厳格な秘密保持義務を課し、情報の管理体制を整備し、開示範囲を限定するなど、情報が限定された範囲内で秘密として管理されている状態であれば、非公知性は維持されると考えられます。
裁判所の判断(想定される判断枠組み)
(前述の通り、特定の裁判例ではなく、一般的な裁判所の判断枠組みを解説します。)
裁判所が本事例のようなケースで「非公知性」の有無を判断するにあたっては、主に以下の点を考慮するものと考えられます。
- 開示時の状況: どのような目的で、どのような相手(共同研究相手、委託先など)に情報が開示されたか。
- 契約上の秘密保持義務: 開示の際に、開示相手との間で有効な秘密保持契約が締結されていたか。契約内容に、秘密保持義務、目的外使用の禁止、情報の返還・破棄義務などが具体的に明記されていたか。
- 開示された情報の範囲と特定: 開示された情報が、契約上「秘密情報」として特定され、その範囲が明確であったか。
- 開示相手による情報の管理状況: 開示を受けた側(研究室B)において、情報が適切に秘密として管理されていたか。アクセス制限、情報の表示(「社外秘」など)、保管方法などが適切であったか。開示側(A社)は、開示相手の管理状況を確認していたか。
- 情報管理の指示・要請: 開示側(A社)が、開示相手に対して具体的な情報管理方法について指示や要請を行っていたか。
裁判所は、これらの要素を総合的に判断し、開示された情報が限定された特定の関係者の間でのみ共有され、かつ秘密として取り扱われている状態であったかどうかを検討します。もし、秘密保持契約の内容が不十分であったり、契約があったとしても開示相手での情報管理がずさんであったりした場合、あるいは開示側が必要な指示や確認を怠っていた場合などには、「非公知性」が否定される可能性が出てきます。特に、開示された情報が、開示相手の管理下で事実上自由に利用・開示可能な状態にあったと評価されれば、「公然と知られた」とまではいかなくとも、「容易に知得可能な情報」として非公知性を失ったと判断されやすくなります。
本事例の想定ケースでは、共同研究契約における秘密保持義務の定めが一般的であり、情報が営業秘密であることの明確な表示や、研究室B内での具体的な管理体制に関する取り決めが不十分であった点を重視し、「非公知性」が否定されるという判断が下されることが考えられます。
事例からの示唆・学び
この想定事例から、読者である法学部・経営学部の学生の皆さんは、共同研究や業務委託といった企業活動における情報開示がいかに慎重に行われるべきか、そして契約の内容が営業秘密の保護に直結することを学ぶことができます。
重要な示唆・学びは以下の通りです。
- 秘密保持契約(NDA)の重要性: 共同研究や委託契約において情報を開示する際は、必ず厳格な秘密保持契約を締結することが不可欠です。契約書には、開示情報の特定、秘密保持義務の範囲、目的外使用の禁止、情報の返還・破棄義務、有効期間などを具体的に明記する必要があります。一般的な条項だけでなく、開示する情報が営業秘密であることや、その重要性を相手方に認識させることが望ましいでしょう。
- 開示相手の管理体制の確認: 契約締結だけでなく、開示先の情報管理体制が十分であるかを確認することも重要です。情報の保管場所、アクセス権限の設定、従業員に対する秘密保持の周知徹底など、具体的な管理状況について確認し、必要に応じてA社側から管理方法に関する指示や要請を行うことも検討すべきです。
- 情報の特定と秘密であることの表示: 開示する情報が営業秘密である旨を明確に表示すること(例: 書類に「社外秘」「Confidential」と表示する)も、「秘密管理性」および「非公知性」を維持するための有効な手段となります。どの情報が開示され、それが秘密情報として扱われるべきかを相手方に正確に伝えることが重要です。
- 非公知性の維持は開示方法にかかっている: 非公知性は、「保有者の管理下以外では一般に入手できない」状態を指します。社外に開示する場合であっても、開示先を限定し、厳格な秘密保持義務を課し、その管理状況も確認することで、限定された範囲での秘密性を維持することが可能です。逆に、これらの措置を怠ると、特定の相手に開示しただけでも非公知性が失われたと判断されるリスクが高まります。
- 契約違反と不正競争防止法違反は別: 秘密保持契約違反があったとしても、情報が既に非公知性を失っていれば、不正競争防止法上の営業秘密侵害とは認められません。企業にとっては、契約違反として債務不履行に基づく損害賠償請求は可能ですが、営業秘密としての強力な保護(差止請求など)は受けられなくなります。そのため、契約締結だけでなく、情報自体が営業秘密としての要件を満たし続けるよう、常に配慮が必要です。
まとめ
本記事では、企業が共同研究や業務委託において社外に情報を開示する際に、「非公知性」が否定され、営業秘密としての保護を失うリスクがあることを事例を通じて解説しました。
営業秘密の「非公知性」は、情報が公然と知られていない状態であることを意味しますが、特定の第三者への開示であっても、その開示方法や契約内容、開示先での管理状況によっては、非公知性が失われたと判断される可能性があります。
共同研究や委託を行う際には、開示する情報が営業秘密に該当するかどうかを検討し、該当する場合には、厳格な秘密保持契約を締結し、開示情報の明確な特定、秘密であることの表示、そして開示先の情報管理体制の確認といった措置を講じることが極めて重要です。これらの対策を怠ると、せっかくの重要な情報が営業秘密としての法的保護を受けられなくなり、企業にとって大きな損失となる可能性があります。
法学部や経営学部の学生の皆さんにとっては、契約法、知的財産法、そして企業経営における情報リスク管理がどのように結びついているかを理解する上で、この事例は示唆に富むものとなるでしょう。将来、企業で働く際や、自ら事業を立ち上げる際には、ぜひこの点を忘れずに注意深く対応していただきたいと思います。