【事例解説】元従業員による海外競合への技術情報持ち出し - 秘密管理性・不正使用の国際的論点
はじめに
企業の保有する技術情報やノウハウといった営業秘密は、事業競争力の源泉であり、その保護は極めて重要です。特にグローバル化が進展する現代においては、情報の流出先が国内にとどまらず、海外の競合他社であるケースも少なくありません。このような国際的な情報流出事案は、不正競争防止法に基づく営業秘密侵害の問題に加え、国際的な法適用や証拠収集といった特有の課題を伴います。
本稿では、元従業員が海外の競合他社に自社の技術情報を持ち出し、それが現地の事業に利用されたという想定事例を取り上げ、不正競争防止法上の論点や、国際的な営業秘密侵害事件における法的課題、そして企業が講じるべき対策について解説いたします。
事案の経緯(想定事例)
国内に本社を置く精密機器メーカーA社は、長年培ってきた高度な製造技術に関する詳細なプロセスデータや、試行錯誤の末に得られた製品の最適化パラメータなどを営業秘密として厳重に管理していました。これらの情報は、A社の製品の品質や生産効率において、競合他社に対する明確な優位性を確立する基盤となっていました。
A社の研究開発部門で重要な役割を担っていた従業員Xは、ある時、海外の競合であるB社から高待遇でのオファーを受け、A社を退職しました。退職に際し、XはA社の許可なく、秘密情報を含む大量の技術データを個人のクラウドストレージ経由で持ち出していたことが後に判明しました。
数年後、B社はA社の主力製品と酷似した新製品を発表しました。A社がB社の新製品を分析した結果、その製造プロセスや製品性能がA社の営業秘密である技術情報を用いて開発された可能性が高いことが強く疑われる状況となりました。B社の製品が発表された時期は、XがB社に入社し、A社の技術情報を持ち出した時期と符号していました。
A社は、元従業員Xによる技術情報の持ち出しおよびB社でのその情報の利用が、A社の営業秘密を侵害する行為であるとして、法的な措置を検討することとなりました。
法的な争点
この想定事例における法的な争点は多岐にわたりますが、主なものは以下の通りです。
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情報の「営業秘密」該当性:
- A社が保有する技術情報(プロセスデータ、パラメータ等)が、不正競争防止法に定める「営業秘密」(秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないもの)に該当するかどうかが争点となります。
- 特に、「秘密として管理されていること(秘密管理性)」、「事業活動に有用であること(有用性)」、「公然と知られていないこと(非公知性)」という3つの要件を満たすかが厳密に審査されます。
- 海外への流出であるかどうかにかかわらず、情報自体の性質とA社による管理状況が判断の基準となります。
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元従業員Xによる「不正取得」または「不正使用」の該当性:
- 元従業員Xが、A社の許可なく技術データを持ち出した行為が「不正の利益を得る目的」または「A社に損害を加える目的」をもって行われたか、すなわち「不正取得」(不正競争防止法2条1項4号)に該当するかが問われます。個人のクラウドストレージへのアップロード行為が、この不正取得にあたるか検討が必要です。
- B社が、Xから提供された技術情報をB社の製品開発や製造に利用した行為が「不正使用」にあたるかどうかも重要な争点です。これは、B社がXから情報を受け取った際に、その情報がA社の営業秘密であり、かつ不正に取得・開示されたものであることを知っていたか、または知らなかったことに重大な過失があったかなどが問われます(不正競争防止法2条1項7号)。
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国際的な情報流出における不正競争防止法の適用:
- 元従業員Xの行為(不正取得)は日本国内で行われたとしても、B社による情報の使用行為は海外で行われています。日本の不正競争防止法が、海外で行われた不正使用行為に対して適用されるかどうかが争点となります。
- これは、国際私法における不法行為の準拠法選択の問題となります。原則として不法行為が行われた地の法が適用されることが多いですが、被害結果発生地である日本法が適用されるべきかなど、複雑な議論が生じ得ます。
- 日本の裁判所に訴えを提起した場合、裁判管轄の問題も生じ得ます。
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差止請求や損害賠償請求の実効性:
- 日本の裁判所で勝訴判決を得られたとしても、海外に所在するB社に対して、海外での営業秘密の使用差止めや損害賠償請求の強制執行をいかに実現するかが実務上の大きな課題となります。外国での訴訟提起や、国際的な司法共助の利用が必要となる可能性があります。
関連法規の解説
本事例に関連する主要な法規は、日本の不正競争防止法です。
- 不正競争防止法2条1項4号(営業秘密の不正取得): 不正の利益を得る目的、または営業秘密保有者に損害を加える目的で、詐欺、脅迫、窃盗その他の方法により営業秘密を取得する行為を不正競争として定義しています。
- 不正競争防止法2条1項7号(営業秘密の不正使用等): 不正取得された営業秘密を「事業のために使用する行為」や「秘密である旨を知って(または重大な過失により知らずに)取得した営業秘密を事業のために使用する行為」などを不正競争として定義しています。
- 不正競争防止法3条(差止請求権): 不正競争によって事業上の利益を侵害され、または侵害されるおそれがある者は、その不正競争を差し止めること、および侵害の予防に必要な行為(廃棄、除却など)を請求できると定めています。
- 不正競争防止法4条(損害賠償): 不正競争によって事業上の利益を侵害された者は、侵害行為を行った者に対し、これによって生じた損害の賠償を請求できると定めています。
- 不正競争防止法19条(国際的効力): 一定の不正競争行為については、日本国内で行われた行為とみなす旨を定めていますが、営業秘密侵害に関しては直接的な規定はなく、別途国際私法による準拠法決定が必要となります。
また、国際私法は、複数の国の法令が関連する事案において、どの国の法令を適用すべきかを定める法分野です。日本の国際私法(法の適用に関する通則法)では、原則として不法行為が行われた地の法(加害行為地法)を適用すると定めていますが、様々な例外や解釈が存在します。
裁判所の判断(一般的な考え方)
このような国際的な情報流出事案において、日本の裁判所がどのような判断を下すかについては、個別の事案における事実認定や証拠、適用される準拠法などによって大きく異なります。特定の判例を挙げることは困難ですが、一般的な考え方の方向性としては以下のような点が挙げられます。
- 営業秘密該当性: 情報の「秘密管理性」、「有用性」、「非公知性」の判断は、原則として情報が管理されていた日本国内の状況を基準に行われると考えられます。A社が技術情報に対して適切かつ合理的な秘密管理措置を講じていたかどうかが重要視されるでしょう。
- 元従業員Xの行為: 元従業員Xによる情報持ち出し行為が日本国内で行われたものであれば、不正競争防止法上の不正取得または不正開示行為として日本の裁判権が及ぶ可能性が高いと考えられます。
- B社の使用行為: 海外で行われたB社による情報使用行為に対して日本の不正競争防止法が適用されるか(準拠法が日本法となるか)は、国際私法上の重要な論点となります。行為地法(海外の法)が準拠法となる可能性も十分にありますが、被害結果発生地である日本法を適用すべきと判断される可能性もゼロではありません。準拠法が日本法と判断されれば、海外での使用も「不正使用」と評価され得ます。
- 証拠収集と実効性: 裁判においては、Xが情報を持ち出し、B社がその情報を用いて製品を開発したという事実を立証する必要がありますが、海外に存在する証拠(B社の開発データ、XとB社間の通信記録など)の収集は極めて困難を伴います。日本の裁判所が外国の証拠を直接収集することは原則としてできず、国際的な司法共助の枠組みを利用する必要が生じますが、その手続は時間と労力がかかります。また、勝訴しても海外での強制執行には困難が伴います。
事例からの示唆・学び
この想定事例は、グローバル化時代の営業秘密保護における以下の重要な示唆を含んでいます。
- 国際的な情報流出リスクの認識: 情報は物理的な国境を容易に越えるため、自社の営業秘密が海外に流出するリスク、特に競合国への流出リスクを十分に認識する必要があります。
- 退職者管理の徹底: 元従業員による情報持ち出しは最も典型的な流出経路の一つです。退職時の情報アクセス権限の速やかな削除、秘密保持義務の再確認、誓約書の取得、必要に応じたPCなどのデバイスの調査といった対策は、海外への流出リスクが高い状況においてはより一層重要となります。
- 秘密管理措置のグローバル対応: 国内だけでなく、海外の拠点や関連会社、委託先との間での情報授受や管理についても、統一的かつ厳格な秘密管理措置を講じる必要があります。海外の法律も考慮に入れた秘密保持契約(NDA)の締結も不可欠です。
- 海外での証拠収集・権利行使の困難性: 海外での侵害行為に対して日本の法律を適用し、権利行使することは法理論上可能であっても、実務上の困難が伴うことを理解しておく必要があります。有事の際に備え、国際的な訴訟・調査に対応できる体制を検討することも重要です。
- 多角的な保護戦略: 営業秘密だけでなく、特許、意匠、商標といった他の知的財産権による保護や、契約による保護(NDAなど)、技術的なアクセス制限などを組み合わせた多角的な保護戦略を検討することが望ましいです。
大学生の皆さんにとっては、将来グローバルな舞台で活躍する際に、企業が保有する知的財産や営業秘密をいかに守るか、また自分自身が職務上知り得た秘密情報をどのように扱うべきかといった意識を持つことの重要性を示唆しています。企業の海外展開が進むにつれて、このような国際的な情報保護に関する知識は必須となるでしょう。
まとめ
元従業員による海外競合への技術情報持ち出し事案は、不正競争防止法上の営業秘密侵害に加え、国際的な法適用や実務上の困難が伴う複雑な問題です。営業秘密の定義該当性、特に秘密管理性の要件を満たしているかが重要であることに変わりはありませんが、海外における行為の評価、準拠法の選択、そして海外での証拠収集や権利行使の実効性が大きな課題となります。
企業は、グローバルな情報流出リスクを十分に認識し、退職者を含むすべての関係者に対する厳格な情報管理体制を国内外で構築・運用する必要があります。また、万が一情報流出が発生した場合に備え、海外での法的措置を検討できる体制を整えておくことも重要です。この事例から学び、営業秘密の適切な保護と管理の重要性を再確認していただければ幸いです。