【事例解説】トライアル・PoCで開示した情報の不正利用リスク - 契約不成立後の情報の扱いは?
【事例解説】トライアル・PoCで開示した情報の不正利用リスク - 契約不成立後の情報の扱いは?
導入
新しいソフトウェアやサービスを導入する検討にあたり、トライアル利用や概念実証(PoC: Proof of Concept)を実施することは、現代のビジネスにおいて一般的です。しかし、この過程で自社の技術情報やノウハウを相手企業に開示した場合、その後の本契約に至らなかった際に、開示された情報が不正に利用されてしまうリスクが存在します。この記事では、トライアルやPoCの過程で開示された情報が営業秘密となるか、そして契約が成立しなかった場合の情報の取り扱いに関して、法的な論点と具体的な事例から得られる示唆について解説します。
事案の経緯
ここでは、あるソフトウェア開発企業A社が、潜在的な顧客であるB社に対し、自社開発の特定のソフトウェアのトライアル版を提供し、その利用に関する技術的なサポートや詳細な仕様情報、導入ノウハウなどを開示したというケースを想定します。A社とB社は、トライアルおよびPoC実施にあたり、提供される情報に関する秘密保持契約(NDA)を締結しましたが、具体的な情報の利用範囲や返還・廃棄に関する明確な取り決めは十分ではありませんでした。
トライアル・PoC期間終了後、B社はA社のソフトウェアの導入を見送ることを決定しました。しかしその後、B社が開発した製品に、A社が開示したソフトウェアのアーキテクチャや独自の処理ロジックが酷似していることが判明しました。A社は、B社がトライアル・PoC時に得た情報を不正に利用して競合製品を開発したと考え、法的措置を検討しました。
法的な争点
この事例における主要な法的な争点は、以下の点に集約されます。
- A社が開示した情報が「営業秘密」に該当するか: 不正競争防止法上の「営業秘密」として保護されるためには、「秘密管理性」「有用性」「非公知性」の3つの要件を満たす必要があります。
- 秘密管理性: A社が開示した情報が、アクセスできる者を限定したり、秘密である旨を明示したりするなど、秘密として管理されていたかどうかが問われます。トライアル・PoC契約やNDAに情報の開示範囲や秘密保持義務を定めていたとしても、社内でのアクセス制限や持ち出しルールの徹底など、具体的な管理措置が十分であったかが重要になります。
- 有用性: 当該情報が客観的に事業活動に有用であると評価できるかどうかが問われます。ソフトウェアの仕様、設計情報、ノウハウなどは、通常、有用性が認められやすい情報です。
- 非公知性: 情報が公然と知られていない、あるいは容易に入手できない状態であるかどうかが問われます。トライアルやPoCのために限定的に開示された情報は、通常、非公知性が認められやすい状態にあります。
- B社の行為が「不正使用」に該当するか: B社がトライアル・PoCの過程で開示された情報を、契約の目的外(ここでは自社製品の開発)に利用した行為が、不正競争防止法第2条第1項第7号に規定される「営業秘密の不正使用」に該当するかが争点となります。秘密保持契約の存在は、情報の目的外使用に対する評価に影響を与えます。契約に情報の利用目的が明記され、それ以外の目的での利用が禁止されている場合、目的外利用は不正使用と評価されやすくなります。
- 契約終了後の情報の取り扱い: NDAやトライアル契約において、契約終了後の情報の返還、廃棄、または継続的な秘密保持義務について明確な規定がなかった場合、情報の不正使用を立証することが難しくなる可能性があります。
関連法規の解説
本事例に関連する主な法規は、不正競争防止法です。
- 不正競争防止法第2条第6項(旧第4項): 「営業秘密」を「秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないもの」と定義しています。前述の「秘密管理性」「有用性」「非公知性」の要件を定めた条文です。
- 不正競争防止法第2条第1項第7号: 営業秘密の「不正使用」行為について規定しています。具体的には、営業秘密を不正な手段で取得した者や、不正取得にかかる営業秘密であることを知って取得した者などが、その営業秘密を「事業のために使用」する行為を不正競争行為としています。本事例のように、正当な契約に基づき取得した情報であっても、その契約の目的に反して利用する行為は、この条文の「不正使用」に含まれると解釈される場合があります。特に、目的を限定して開示された情報を、その目的外で利用する行為は、類型的な不正使用として評価される傾向があります。
- 不正競争防止法第3条: 不正競争行為に対する差止請求権について定めています。営業秘密の不正使用行為によって事業上の利益を侵害され、または侵害されるおそれがある者は、その侵害の停止又は予防を請求することができます。
- 不正競争防止法第4条: 不正競争行為に対する損害賠償請求権について定めています。不正競争行為によって事業上の利益を侵害された者は、それによって生じた損害の賠償を請求することができます。
裁判所の判断
本事例のように、契約関係を通じて適法に開示された情報が、契約終了後に目的外で利用された場合の裁判所の判断は、主に以下の点に左右されます。
- 開示された情報が営業秘密の要件を満たすか: 特に「秘密管理性」の充足が厳しく審査されます。トライアル・PoC契約やNDAの締結だけでなく、情報の範囲の特定、情報の受け渡し方法、受領者側の管理状況など、開示者側・受領者側の双方における具体的な秘密管理措置の有無が重要視されます。例えば、提供したソフトウェアが難読化されていたか、ドキュメントに「秘」などの表示があったか、アクセス権限が限定されていたかなどが考慮されます。
- 情報の利用が契約の目的に反するか: トライアル・PoC契約やNDAに情報の利用目的が明確に定められている場合、それ以外の目的での利用は契約違反となり、不正使用と評価される根拠となります。契約に具体的な利用目的が明記されていない場合でも、トライアル・PoCという性質上、その目的が製品導入の検討に限定されると解釈される場合が多いです。
- 不正使用行為の立証: B社がA社の開示した情報を実際に利用して製品を開発したこと、すなわち情報の利用と競合製品の開発との間に因果関係があることをA社が立証する必要があります。製品の類似性や開発プロセスにおける情報の参照状況などが証拠となります。
裁判所は、これらの要素を総合的に考慮し、不正競争防止法上の「営業秘密の不正使用」に該当するか否かを判断します。契約上の義務違反であることは、不正競争防止法上の不正使用を認定する上での重要な考慮要素となりますが、両者は必ずしも一致するわけではありません。契約違反が直ちに不正競争防止法上の不正使用となるわけではなく、法的な要件(特に営業秘密性)を満たす必要があります。
事例からの示唆・学び
この事例から、読者である法学部・経営学部の学生や将来ビジネスに携わる方々は、以下の重要な示唆を得ることができます。
- トライアル・PoCにおける契約の重要性: 安易に情報を開示せず、トライアル・PoC契約やNDAの内容を十分に検討することが極めて重要です。開示する情報の範囲、利用目的、契約期間、そして契約が不成立に終わった場合の情報の返還・廃棄義務、契約終了後の秘密保持義務の継続期間などを具体的に定めるべきです。これにより、情報の不正利用リスクを低減し、紛争発生時の証拠とすることができます。
- 「秘密管理性」の徹底: 情報開示時だけでなく、社内においても開示する情報の秘密管理措置を講じることが不可欠です。アクセス権限の制限、情報の特定(資料に「秘」表示、ファイル名に「Confidential」付記など)、持ち出しルールの設定などが含まれます。これにより、情報が不正競争防止法上の「営業秘密」として保護されるための基礎を固めることができます。
- 情報の「目的外使用」リスクの認識: 適法に情報を取得した場合でも、その利用目的が限定されている場合には、目的外の利用が不正競争行為となるリスクがあることを認識すべきです。受領した側は、開示の際に合意した利用目的の範囲内で情報を使用する義務があります。
- 証拠収集の準備: 万が一、情報の不正利用が疑われる事態が発生した場合に備え、情報の開示記録、契約書、電子メールや会議議事録など、情報のやり取りや利用状況を示す証拠を適切に保管しておくことが重要です。
学生にとっては、契約法、民法(不法行為)、そして不正競争防止法といった複数の法律分野が複合的に関わる複雑な事例として、法律知識の実践的な応用を考える良い題材となります。また、将来企業で働く上では、秘密保持契約の重要性や情報管理の具体的な方法について学ぶ機会となるでしょう。
まとめ
ソフトウェアやサービスのトライアル利用、PoCは、ビジネスを進める上で有効な手段ですが、この過程で開示される情報には営業秘密侵害のリスクが潜んでいます。特に、契約不成立後の情報の取り扱いについては、契約書での明確な取り決めと、開示情報の秘密管理性の徹底が鍵となります。
不正競争防止法は、適法に取得された情報であっても、その後の不正な使用行為を規制する場合があります。本事例を通じて、企業は情報開示の際には法的リスクを十分に理解し、適切な契約締結と情報管理体制を構築することの重要性を改めて認識する必要があります。読者の方々には、本事例が営業秘密保護の実践的な学びにつながることを願っております。