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【事例解説】大学の研究成果流出と営業秘密侵害 - アカデミアにおける秘密管理性の特殊性

Tags: 営業秘密, 秘密管理性, 大学・研究機関, 技術情報, 不正競争防止法

【事例解説】大学の研究成果流出と営業秘密侵害 - アカデミアにおける秘密管理性の特殊性

営業秘密は、企業の競争力を支える重要な無形資産です。その保護は不正競争防止法によって図られていますが、具体的な情報が営業秘密に該当するかどうかは、いくつかの要件を満たす必要があります。特に「秘密管理性」の要件は、その情報が秘密として管理されていたかどうかを示すものであり、裁判ではしばしば争点となります。

営利企業における秘密管理性は比較的明確な基準で判断されることが多いですが、教育・研究機関である大学や研究室といった「アカデミア」環境では、その性質上、特有の課題が存在します。本記事では、大学の研究室から技術情報が流出したとされる事例を想定し、アカデミアにおける営業秘密侵害、特に秘密管理性がどのように問題となるのかを掘り下げて解説します。

事案の経緯

この事例は、国内のある大学Aの研究室で、革新的な製造プロセスに関する技術Xが開発されたことから始まります。技術Xは、既存の方法と比較して飛躍的に効率が高く、実用化されれば大きな市場価値を持つと期待されていました。この技術Xに関する詳細な実験データや解析手法は、論文発表や特許出願前であり、外部には公開されていませんでした。

研究室には、指導教授の他、複数の大学院生、ポスドク研究員、そして企業からの共同研究員が所属しており、彼らは技術Xの開発に関わっていました。研究員たちは、研究室内の共有サーバーや個人の作業用コンピュータでデータを取り扱い、議論を行っていました。

数年後、研究員の一人であるB氏が、大学Aを退職し、海外の競合する研究機関Cに転職しました。その後間もなく、機関Cから技術Xに酷似した製造プロセスに関する研究成果が発表されました。大学Aは、B氏が退職時に研究室の技術情報を不正に持ち出し、機関Cで利用したのではないかと疑い、B氏および機関Cに対し、不正競争防止法に基づき、技術情報の使用差止めと損害賠償を求める訴えを提起しました。

争点となったのは、大学Aの研究室で開発された技術情報が不正競争防止法上の「営業秘密」に該当するか、特に「秘密管理性」の要件を満たしていたか、そしてB氏および機関Cの行為が不正競争行為に該当するか、という点でした。

法的な争点

本事例における主な法的な争点は以下の通りです。

  1. 技術情報(実験データ、解析手法など)が「営業秘密」に該当するか
    • 有用性: 開発された技術Xが競争上価値を持つか。これは革新的な製造プロセスであり、市場価値が期待されることから、一般的に有用性は認められる可能性が高いでしょう。
    • 非公知性: 技術Xに関する情報が公然と知られていないか。論文発表や特許出願前であることから、非公知性も認められる可能性が高いと考えられます。
    • 秘密管理性: 大学Aがその情報を秘密として管理していたか。これが本事例における最大の争点となります。研究室という環境では、知的好奇心や研究成果の共有が重視される一方で、重要な技術情報の管理が企業ほど厳格でない場合があります。具体的には、情報へのアクセス制限、情報の秘密である旨の表示、関係者への秘密保持義務の周知などが、秘密管理性の有無を判断する上で問われることになります。学生、ポスドク、共同研究員といった多様な立場の人間が情報にアクセスできる環境で、どのような措置が取られていたかが重要になります。
  2. B氏の行為が「不正取得」または「不正使用」に該当するか
    • B氏が情報をどのように取得したのか(例えば、正当なアクセス権限を越えて情報を持ち出したのか、コピーを個人的に保管していたのかなど)が不正取得にあたるか問われます。
    • 機関Cで大学Aの研究室の技術情報を利用したことが、不正使用にあたるか問われます。
  3. 機関Cの行為が「不正使用」に該当するか
    • 機関Cが、B氏から提供された情報が大学Aの営業秘密であると知っていたか、または知ることができたか(知り得べかりし過失があったか)が問われます。

関連法規の解説

本事例で中心となるのは、不正競争防止法です。

特に、本事例で争点となる「秘密管理性」については、裁判例において、その情報にアクセスできる者を制限し、かつ、その情報が秘密であると認識できるように措置を講じていることが必要である、と判断されています。例えば、特定の情報へのアクセス権限を付与された者に限定する、情報が記載された書類に「マル秘」などの秘密表示を付す、電子データにパスワードを設定する、秘密保持契約を締結する、などの措置が秘密管理性判断の材料となります。大学や研究機関の場合、これらの措置を研究の自由や教育という目的と両立させつつ、どこまで具体的に行っていたかが問われます。

裁判所の判断

本事例は架空のケースを想定していますが、類似の裁判例では、大学や研究機関における秘密管理性の判断において、企業とは異なる環境が考慮されることがあります。しかし、重要な技術情報については、教育・研究機関であっても、一定レベルの秘密管理措置を講じるべきであるという考え方が一般的です。

裁判所は、大学Aの研究室における具体的な情報管理の実態を詳細に審理します。例えば、 * 技術Xに関するデータが保存されていたサーバーへのアクセス権限はどのように設定されていたか。 * 研究員や学生、共同研究員に対して、この情報が秘密であること、および外部への持ち出しや開示が禁止されていることは、文書や口頭でどのように周知されていたか。 * 共同研究契約や研究員との間で、秘密保持義務に関する明確な条項は含まれていたか。 * 実験ノートや電子データには、秘密を示す表示(例:「秘」「Confidential」)が付されていたか。 * 持ち出し可能なデバイスやクラウドサービスの利用について、研究室としてどのようなルールがあったか。

もし、大学Aがこれらの点について十分な措置を講じていなかった場合、裁判所は、当該技術情報が「秘密として管理されていた」とは認められない、すなわち不正競争防止法上の「営業秘密」に該当しないと判断する可能性があります。その場合、たとえB氏が情報を持ち出し、機関Cで利用した事実があったとしても、営業秘密侵害とはならないため、大学Aの請求は棄却されることになります。

他方で、大学Aが具体的なアクセス制限措置、秘密保持義務の明確な周知、秘密表示の徹底など、その環境下で合理的に期待されるレベルの秘密管理措置を講じていたと認められた場合、情報は営業秘密と判断され、次にB氏および機関Cの行為が不正競争行為に該当するかが審理されることになります。

事例からの示唆・学び

本事例からは、大学や研究機関における営業秘密保護の重要性と難しさが浮き彫りになります。

法学部や経営学部に所属する学生の皆さんにとって、この事例は、知的財産、特に営業秘密が単なる法律上の概念ではなく、具体的な組織の活動や人間の行動と密接に関わっていることを示しています。将来、研究開発に携わる可能性のある方は、技術そのものだけでなく、その情報の管理がいかに重要であるかを理解し、情報の適切な取り扱いに関する意識を高めることが求められます。また、企業活動に関わる方は、共同研究や採用活動において、相手方の情報管理体制を確認すること、また自社の情報管理体制を徹底することの重要性を認識する必要があります。

まとめ

大学の研究室から技術情報が流出したとされる事例を通じて、アカデミアにおける営業秘密侵害、特に「秘密管理性」の特殊性について解説しました。研究機関の特性上、情報のオープン性が重視される環境であっても、重要な技術情報については、不正競争防止法上の営業秘密として保護されるために、アクセス制限、秘密表示、秘密保持義務の周知・合意といった具体的な秘密管理措置を講じることが不可欠です。この事例は、アカデミア関係者だけでなく、企業との連携や人材交流に関わる全ての人々に対し、情報管理の重要性を再認識させるものです。